お寺の紹介
蓮昌寺はいわゆる備前法華の中心道場として栄えた日蓮宗の巨刹で、山号を仏住山、主院を龍華樹院と号する。かつては檀家七干を有したといわれ、一万坪におよぶ境内地には国宝の本堂をはじめとする七堂伽藍が萱を並べ、その偉容を誇っていたが、惜しくも、第二次世界大戦の戦火で灰焼に帰した。しかし、寺宝である大曼茶羅(日蓮宗宗宝・岡山市重要文化財)だけは、その難を免れた。
開山は龍華樹院日像聖人。その高弟大覚大僧正が備前地方弘通の瑚、これに帰依した備前の領主松田左近将監元喬により、光厳天皇の正慶年中(一三三二~三四)あるいは、後村上天皇の康永三年(一三四四)に創建されたと伝えられる。寺号を蓮昌寺と称するのはその法号に基づく。
お寺の歴史
蓮昌寺は岡山における代表的仏教寺院で、著名な法華経の伝道者大覚大僧正に帰依した富山城主(後に金川城主)松田元喬により一三三三年(正慶年中)に創建された。寺号を蓮昌寺と称するのは、彼の法号に基づくものである。もと、岡山城中榎の馬場にあったが、岡山藩の覇者が、松田氏から宇喜田氏、小早川氏へと変転するにしたがい、境内地も二転三転と移り変わり、それが現在の地に落着いたのは、一六〇一年(慶長六年)のことであった。
それ以来、二万四千坪におよぶ広大な境内地に七堂伽藍を完備、四十八ケ寺もの末寺を有し、中国一の大道場としてその偉容をほこっていたが、一九四五年(昭和二〇年)、戦火によって、十八間四面の大本堂(国宝・桃山時代)や三重塔(国宝・南北朝時代)をはじめとする、すべての建造物・文化財を焼失した。だが、諸天の加護とでもいうべきか、寺宝である「大まんだらさま」だけは、その災をまぬがれた。
それから二十年、仮本堂で再建準備にとりかかり、一九六八年(昭和四三年)春、ようやくにして新本堂の建設がなった。